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第3種(中学・U-15)

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中学サッカーの思い出

 

 

サッカー連盟・監事 大 屋  守

 

 

私が中学校でサッカーの顧問を任された47年頃は、まだ、市内には深谷中にしかサッカー部はありませんでした。以前にあったサッカー部が解散になり、あらためてできたばかりだったと思います。当時は学徒総合と県民大会は予選なしの県大会で、いつも1回戦負けでした。新人戦の予選は大里地区で、寄居中が強く勝てませんでした。

深谷市が豊里村と合併して2校になりましたが、最初の頃は豊里中が強くなかなか勝てませんでした。ようやく勝てるようになったのは昭和5253年頃かと思います。その頃に幡羅中にもサッカー部ができ、3校が互いに競うようになりました。スポーツ少年団ができて、そこで学んだ生徒が入ってきたのもその頃です。深谷中においては、西小と大寄小が一緒になり少年団でよく鍛えられた熱心でサッカーの好きな子どもたちが、新人戦の県大会で2年連続決勝まで進みました。それが縁で、私はそれまで以上にサッカーづけの毎日となることになりました。私自身は学生時代に運動部に籍を置いたことなく、サッカーについても全くの素人でしたので、子どもたちや地域のサッカーの仲間に支えられての毎日だったような気がします。

しかし、そんな熱心な人たちがいたおかげで、その頃の目標が児玉に勝つこと、浦和や東松山のチームに勝つことになりました。県大会に行くときは先輩に「浦和などとやるときは11人対12人の勝負だよ」などと言われたものでした。

また、熱心でサッカー好きの子どもたちを見ていると、全国大会に行ってみたいなどと思うようにもなったものです。結果は思うようにならなかったことが多かったですが、よき子どもたちと地域の皆さんに支えられての充実した17年間でした。

 次にあげるのは、幡羅中の1年目の時、県民体育大会で優勝したチームの主将が当時の市長さんへ優勝を祝って頂いたお礼の手紙です。この子どもたちからもいろいろなことを学ばせてもらいました。今でも勝つためにはこんな気持ちと努力が大切なのかなと思いますので。

先日の優勝報告会では、誠にありがとうございました。

ぼくたちもあのような事ははじめてでしたので・・・。これから市長様に“ぼくら”を紹介します。いつも、いつも、15人がいっしょだったのです。部員同士のまえに仲間同士でした。なにしろ、伝統やいい環境にめぐまれていたのではありません。先輩達や先生の顔をうかがいながら、自分たちのあらゆる時間をサッカーにつぎこんだのです。

  ぼくらは、サッカーをするため、したいために苦しい練習をしてきたのではありません。2年半も石にかじりついてがんばってきたのは、“素晴らしい仲間と思い出”をつくるためです。きれいごとに響くかもしれませんが、ぼくら1人の心には、一貫してずっしりとおいてあるものなのです。今どき、友達のために、男が本当の涙を流してくれるでしょうか・・・。笑える友達はいても、泣いてくれる友達はいないのじゃないでしょうか。周りの風潮・・・、それとの戦いが苦しかった事の一つです。坊主頭にすると他の奴らに笑われる、気のぬけるような事、夢のない行動・・・など、僕らが不安になることもありました。けど、僕たちには僕たちにしかできないことをやるぞ!ほこりの中で汗にまみれどろんこになるのは、今しか、いや俺たちにしかできないと思い続けてきたのです。

  僕の知人の方々、先生方の協力も大きな支えになってくれたと思います。

  僕らに“自信”を与えてくれた先生・・・。いつもありがとうございます。実力や伝統のない僕らに、自信を与えてくれたことは、僕らの大きな力となったのです。  上手だったのではなく、上手になりたかったのです。僕らの思い出とは、でっかいことを苦しさに耐えながら達成したということなのです。人より上になるなら、人よりバカになって努力せよ、とのことなのです。実力の優勝ではなく、男の勝負での優勝ではないかと思っています。“他の奴よりバカになる”それが、幡中のサッカー部、そして僕ら15人の象徴なのです。 それでは失礼します。        
 

現在の登録チームの紹介 (50周年記念誌より)
幡羅中学校
深谷中学校
藤沢中学校
豊里中学校
南 中学校
上柴中学校
岡部中学校
花園中学校
川本中学校
FC 深谷


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